2020東京オリンピックに向けて
新しいナショナル・ハウスのあり方についてのご提案
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-Proposal for a new kind of National House at the 2020 Olympics-
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2017年8月25日
東京文化資源会議
■「ナショナル・ハウス」とは
「ナショナル・ハウス」(または「ホスピタリティ・ハウス」)とは、各国政府および各国オリンピック委員会が五輪大会の開催都市において市内の文化センターやスポーツクラブ、または歴史的建造物等を借り上げて、自国の文化体験の機会を市民や観光客に提供するというものです。最近の五輪大会においては恒例となっている仕組みで、リオ2016においては30か国以上が「ホスピタリティ・ハウス」を開設しました。いくつかの国の「ホスピタリティ・ハウス」は、エントリーを選手のみに限定したり、ゲストのみを招待したりしていましたが、大半のものは一般に公開されました 。
ホスト国ブラジルの「カーサ・ブラジル」は、最大のホスピタリティ・ハウスの一つでした。港湾地区の2つの元倉庫を改装した「カーサ・ブラジル」の中では、ブラジルの食文化(コーヒー、チョコレート、カシャーサ、ワイン等)を味わうことができたほか、ブラジルの工芸の展示が行われていました。
「ブリティッシュ・ハウス」は、元・美術学校の校舎という歴史的建造物を活用し、コルコバードのキリスト像を見上げることができるという好立地において、事前に登録した者だけを招待するエクスクルーシブなイベントを開催していました。
「スイス・ハウス」は、ボートとカヌーの競技会場となったロドリゴ・デ・フレイタス湖の湖岸に開設されました。野球のグラウンドを使用した敷地からは美しい山並みと湖を見渡すことができ、観光地スイスのイメージに合った適地でした。敷地内では、特殊プラスチック製のアイス・スケートリンクや陸上競技の体験ブースなどが設置されており、子どもも大人も楽しめるように工夫されていました。
「カーサ・アフリカ」はアフリカの54か国による共同出展でした。この展示はショッピング・センターの一角を借り上げて開催されており、飛行機のかたちをしたミニシアターの中ではアフリカ観光の映像が上映されていました。
「東京2020ジャパンハウス」は、バッハ地区に立地する複合文化施設Cidade das Artes内に開設されました。1階では東京2020や開催都市東京および日本の魅力を紹介する展示コーナーがあり、2階では「茶道」「浴衣」「書道」、日本の祭りで親しまれる「ヨーヨー」など、日本文化が体験できるエリアが設置されていました。さらに、1階のステージでは多くのイベントが行われ、一般の人も楽しめるコンテンツが提供されていました。
■ご提案:五輪後のレガシーとなる「ナショナル・ハウス」の新しい形を東京で!
このように五輪大会の開催期間中は各国の文化等を紹介する施設として人気の高いナショナル・ハウスですが、大会後には基本的に閉鎖されてしまいます。しかし、それはとても“もったいない”ことです。東京文化資源会議では、大会閉幕後も各国の文化・観光の情報発信拠点等として持続可能な仕組みを各国のNOCや文化機関とご一緒に検討していきたいと考えています。
五輪大会の閉幕後は、各国の文化団体が自国文化の情報発信拠点(ギャラリー等)として活用することが期待されるほか、当該施設を居抜きで活用するかたちで、文化施設や飲食施設等に転用することも考えられます(後者の場合、あらかじめ運営事業者をマッチングする必要があります)。
このように五輪後も持続可能で、レガシーとして継承されるナショナル・ハウスを、東京文化資源会議では各国の皆様と一緒に実現してきたいと考えています。
■「東京文化資源区」内への立地の意義
「東京文化資源区」とは、東京の北東部の谷根千、根岸一帯にはじまり、上野、本郷、秋葉原、神田、神保町、湯島に至る地区の名称で、これらの地区はわずか半径2km の徒歩圏に集中的に立地しています。
この「東京文化資源区」には近世・近代・現代と、時代をまたぐ文化資源が集積しています。谷根千は町屋と路地の街並みの「生活文化資源」、上野は博物館群と東京藝術大学の「芸術文化資源」、本郷は東京大学の「学術文化資源」、秋葉原はマンガやアニメ等の「ポップカルチャー資源」、神保町は古書店街と出版社の「出版文化資源」、湯島は湯島天満宮や湯島聖堂等、神田は神田祭等江戸の伝統を引き継ぐ「精神文化資源」が集積しています。
「東京文化資源区」は高度成長期以降の大規模な開発から免れることで、江戸・東京における文化資源の宝庫としての価値を維持し続けており、文化、環境、観光等の様々な視点から街としての新たな可能性が注目されています。また、この「東京文化資源区」内には、歴史的建造物、リノベーション可能な民家やオフィスビルなど、ナショナル・ハウスに最適な施設や土地が多数存在しています。
そして、「東京文化資源区」では、地域で活動する実務家や専門家が集まり、地域の課題解決に向けて話し合い行動を起こすための人材育成プログラム「プロジェクトスクール」を実施しています。この「プロジェクトスクール」では、歴史文化を活かしたまちづくりに先駆的に取り組んできた地域の蓄積に学びながら人財育成を進めています。
このような「東京文化資源区」だからこそ、文化資源・知識資源を活用してレガシーとクリエイティビティ両面を提示できるナショナル・ハウスにとって極めて重要な場所として、東京から全国に、さらに文化資源を備える海外の都市にも波及する世界的なモデルとなり得ると考えています。
■エリア紹介
神田エリア
粋でいなせな「江戸っ子」気質
「江戸っ子だってねぇ」「神田の生れよ」……とは浪花節、『森の石松三十石舟』に出てくる有名な台詞。神田は昔から職人や町人の街として、粋でいなせな江戸っ子たちが暮らしてきた場所。戦災を免れて今なお残る、戦前の風格ある建築物もポツポツと見えます。
神田といえば、2年に1回、5月に開催される神田祭が有名です。山王祭、深川祭と並んで江戸三大祭の一つであり、京都の祇園祭、大阪の天神祭と共に日本の三大祭りの一つにも数えられる、歴史と伝統が街に息づいた祭りが、この街を今も息づかせています。
神田祭とは、神田明神で行われる祭礼のことです。神田明神は湯島にほど近い千代田区外神田にある神社で、正式名称を神田神社といい、神田・日本橋・秋葉原など東京の108町会の総鎮守を務めています。江戸時代から明神さんの愛称で親しまれており、2015年には、人気アニメ『ラブライブ』と神田祭がコラボし、大きな話題も集め、「聖地巡礼」の場所にもなりました。
老舗文化、発祥の地
また、「神田」は老舗が軒を連ね、長く愛され続けている安定感のある名店も豊富です。その中には100年以上も続いている老舗中の老舗が多くあります。老舗の蕎麦屋にうなぎ、あんこう鍋、すきやき、洋食の老舗もあり甘味処も備えています。神田に根ざし、地域に学び、地域を創るNPO法人神田学会の報告によると、創業100年以上の老舗企業は170社にも及ぶそうです。日本国内でこれほど老舗が集中している地域は珍しく、神田が歴史に根付いた街であることを物語る好例と言えましょう。
「神田」はまさしく「江戸」の原型の元に育まれた街です。かつて「江戸」に集まった約十万人もの人々の食糧は、現在の内神田一丁目辺りにあった魚河岸と、神田多町にあった青物市場、通称「やっちゃば」とで賄われていました。魚は江戸湾から平川を船で上がり、青物は荷車によって埼玉方面から運ばれていました。小伝馬町や大伝馬町などは交通のターミナルとして栄えてきたのです。河岸はその後、日本橋から現在の築地へ移り、青物市場も秋葉原から大井へ移転しましたが、どちらもその発祥の地は神田なのです。
学生の街 神田
そして、「神田」は、都心部最大の学生数(25万人)を誇る学生街でもあります。大手出版社、印刷所、新刊を扱う一般書店の他に、大学、学術関係の施設もあり、これらが一体となって世界最大の古書店街を形成しています。
神田の魅力はまだまだあります。神田駿河台周辺は昭和の時代から学生街であったため楽器やスポーツ用品などのニーズが元々ありました。昭和47年の札幌冬季オリンピックの年にスキー専門バーゲン店を始めたところ大当たりし、その後のスポーツ店出店ラッシュ、同時に御茶ノ水には楽器店がひしめきます。
神田界隈は、300を超えるカレー店が集積する全国でも稀に見る地域です。それぞれが特徴あるカレーで日ごろから来街者を楽しませ、「カレーの街」という新たな呼び名を得はじめています。
こうした専門店の集積により毎年秋には、古本まつりにブックフェスティバル、スポーツ祭、熱烈楽器祭、カレーグランプリ、そして2012年からはTRANS ARTS TOKYOというアートイベントも加わり、秋の神田は一大イベント空間と化すのです。
PR型ナショナル・ハウス
秋葉原や大手町に近接する神田地区は、様々な志向の人々が行き交う場所であり、PR型のナショナル・ハウスに適していると言えましょう。オリンピック期間中に来日する人々の多くが、神田エリアを通過することが予想され、日本人と外国人の双方に対して高いPR効果が期待できます。
上野・湯島エリア
上野・湯島エリアは江戸時代に江戸城を中心とした渦巻き型の都市計画の末端として、寛永寺と湯島天満宮のという2つの社寺の間に栄えた街です。不忍池のほとりには江戸時代の初期から賑わいのある町が形成されてきました。この地域の魅力は、なんといっても徒歩で歩けるエリアに、日本を楽しむための様々な文化資源が密集していることです。上野、御徒町、湯島の3駅を結ぶトライアングルとその周辺に、文化、自然、観光地、にぎわいのある街、といった多様なスポットが詰め込まれており、このエリアを訪れるだけでコンパクトに様々な体験をすることができます。
「上野の山」は地域観光の目玉です。東京国立博物館を初め多くの博物館、美術館が集積し、世界的にも有数の文化ゾーンを形成しています。国立博物館には国内最多88点の国宝をはじめとした、11万点に上る美術品が収蔵されています。その他、国立科学博物館、東京都美術館、世界遺産にも登録された国立西洋美術館、上野の森美術館などで様々な企画展が開催されています。そしてこれら美術館群を包み込む上野の森はオリンピック期間中の暑い日差しを和らげる涼やかな都市公園です。
上野の山の眼下に広がる「不忍池」は、山手線内にある最大の池です。繁華街を抜けると突然広がる水面は、東京の夏の暑さを和らげ、また蓮の葉によって覆われた景色は圧巻です。7~8月の朝には蓮の花が咲き一番の見頃となります。
「上野動物園」は東京都23区内唯一の、そして日本最古の動物園です。大都市圏にありながら日本第2位の飼育動物種数をほこり、また2017年にはパンダの赤ちゃんも誕生し、大変な人気を博しています。
「アメ横」は第2次世界大戦後に複雑な歴史を辿り発展した、日本において数少ない、アジア的なマーケットを感じることのできるエリアです。山手線の高架下に並行して広がる狭いエリアに、無数の商店と飲食店が立ち並びます。迷宮的な路地をめぐることで他所では手に入らない様々な商品に出会うことができます。
上野・湯島は「食の街」としても、多くの名店が立ち並びます。うなぎ、寿司、てんぷら、和菓子といった日本の伝統的な食文化の店が軒を連ねます。特にとんかつ店は東京都内屈指の名店が数多くあります。また湯島に近いエリアでは夜のBAR文化が発達しています。
その他にも上野・湯島エリアには、湯島天満宮、旧岩崎邸といった多くの歴史的な「観光地」があります。上野・湯島エリアにナショナル・ハウスを設置する最大の利点は、これら魅力的なスポットを同時に存分に味わっていただけることです。
ゲストハウス型ナショナル・ハウス
大事なゲストの皆様に、近隣のエリアにて日本の美術・芸術から大衆的文化、自然環境まで様々な体験をしていただくことができます。多様な楽しみ方ができるため、何日にもわたってこのエリアに通っていただく価値があります。日本文化をコンパクトに、高密度に楽しむための拠点としてのハウスにこのエリアは適しています。
PR型ナショナル・ハウス
多くの人々が訪れる上野・湯島エリアはPR型のナショナル・ハウスにも適しています。上野の山の博物館・美術館群には年間で1000万人の利用者が訪れ、都内屈指の観光スポットとなっています。オリンピック期間中に来日する人々の多くが、上野・湯島エリアを訪れることが予想され、日本人と外国人の双方に対して高いPR効果が期待できます。
上野・湯島エリアは古くは東北地方の玄関口であり、また外国人が多く住み、外部を取り込むことに長けた土地柄でした。地域の人々はこのエリアを多くの方に知っていただきたいと考えており、ナショナル・ハウスの設置に関して地域的なサポートが期待できます。最後に、京成上野駅は成田空港からスカイライナーで41分と抜群のアクセスの良さを誇ります。山手線と4線の地下鉄が走り都内各地へも短時間で移動できるのです。
谷中根津千駄木エリア
寺町谷中、町人街根津、邸宅地千駄木によるこのエリアは、関東大震災や第二次世界大戦の被害を比較的免れた地域で、江戸から明治・大正期にかけての風情を残す東京でも希少なエリアと言えます。交通面でも、成田空港から直結している日暮里駅が近く、海外からのアクセスもしやすい地域です。行政区としては谷中が台東区、根津・千駄木は文京区と別の区になりますが、1984年に創刊した地域雑誌「谷根千」をきっかけにひとつの生活文化圏として社会的に認識されるようになりました。近隣の大学では東京大学と東京藝術大学があり、両大学に関係する人たちも多く住んでいます。上野公園に近いことから、古くから美術関連産業が盛んで、小規模の画材屋、美術施工会社などが多く営業しています。なかでも、小規模なギャラリーでは、国際的なアーティストを扱う「SCAI THE BATH HOUSE」から、若手のアーティストの展示を行う「HIGURE 17-15 cas」、「HAGISO」まで多く点在します。
谷中は、徳川家の菩提寺寛永寺を中心に江戸時代より江戸中の寺院が移設され、現在では70ヶ寺以上の寺院が集積する「寺町」となっています。周辺の地主でもある寺院の管理のもと、多くの町屋建築が未だにその姿をとどめています。近年は「谷中銀座商店街」や「よみせ通り」などの昭和の生活感が感じられる商店街や、路地裏の個性的なお店が集積するエリアとして観光地化が進み、国内外の多くの観光客が訪れる場所となっています。
根津は、東京十社の一社、根津神社の中心に、門前町として栄えた地域です。町屋建築のならぶ町人街には、多くの居酒屋、小料理屋、バーなどの飲食店が立ち並んでいます。
千駄木は、川端康成、北原白秋、高村光太郎、夏目漱石、森鴎外など多くの文人が居を構えた文化的な地域で、旧安田楠雄邸などの旧邸宅も一般に公開されています。
花街の面影を残す根岸・下谷
JR鶯谷駅の近くはラブホテル街の印象が強い根岸の街ですが、かつては根岸柳通りを中心とした花街が盛んでした。
商家が多く、関東大震災や戦災を免れたことから、木造長屋の間口面に銅板や左官仕上げによる西洋風の装飾を施したいわゆる「看板建築」を多く残すのも特徴です。詩人や芸人が多く住んだことでも有名で、正岡子規の旧居は今も残されています。元劇場型キャバレーを利用したイベントスペース「東京キネマ倶楽部」など、昭和の建築も現在も利用されています。毎年7月に行われる「朝顔まつり」には、40万人ほどの来場があり通りを賑わせます。
近年は世界中のバックパッカーが集まるゲストハウスtoco.や、パンケーキの有名なイリヤプラスカフェなど、感度の高い若者を引き寄せる個性的な商店が生まれています。
ゲストハウス型ナショナル・ハウス
江戸時代からの豊かな生活文化と歴史性を感じることができるこれらのエリアは、街に調和した「ゲストハウス型ナショナル・ハウス」に適した場所といえます。
本郷エリア
本郷は東京大学に象徴される東京屈指の文教地区であり、南部には病院など医療施設が集中し、北西部には出版関連の企業が集まる特殊なエリアです。江戸時代・明治から営業を続ける老舗が今も多く残っていることも特徴的な魅力の一つです。
明治10年、北東部の本郷加賀屋敷跡に東京大学が設立されるのを皮切りに、本郷一帯には下宿屋が集積します。全盛期には500軒ほどもあったといわれる下宿屋は、交通網の発達や全国からの修学旅行の活性に伴い旅館街へと変化を遂げました。かつて120軒ほどもあった旅館も今では5軒にも満たなくっています。かつての旅館街の面影は消えつつありますが、現役の老舗旅館「鳳明館」などの一帯はタイムスリップをしたかのような風情をいまだに保持し、貴重な体験の出来る場となっています。
また、本郷は明治から昭和にかけて、夏目漱石、坪内逍遥、樋口一葉、二葉亭四迷、正岡子規、宮沢賢治、川端康成、石川啄木など数えきれないほどの多くの文人が居を構えていた文化的なエリアでもあります。文人たちが暮らした旧居跡や、小説などに登場するゆかりのスポットなどが数多く存在する文化の香り漂う一帯です。
さらに、東京大学前には古くから古本屋が立ち並び、数々の文人や学生を支えてきました。古本屋の多くも時代の流れと共に閉店してしまっていますが、当時を思わせる雰囲気のある古本屋の建物が大通り沿いに立ち並びます。
地形的にも谷と台地が複雑に交錯しており、言われのある坂や情緒ある裏通り、震災戦災で焼け残った希少な街区など、都会の中心とは思えない趣のある一帯も確認が出来ます。東京の都会の中心部でありながら、路地裏や長屋などの風情を感じられる下町と山の手の文化が混ざっている希少なエリアとして、まち歩きの人々も絶えません。
また、下宿や旅館などが多く集積していた背景から、外から人を迎え入れる文化が根付いている地域とも言えそうです。
東京駅や新宿駅などの中心部への交通の便も良く、本郷三丁目周辺は老舗の和食店や隠れ家的なレストラン、学生の親しむ大衆的な飲食店など、多彩な味覚を堪能できる場所とも言えます。
ゲストハウス型ナショナル・ハウス
便利な立地でありながら、日本らしい生活感の感じられる落ち着いた下町情緒のエリアとして、ゲストハウス型のナショナル・ハウスに適していると言えます。
下宿や旅館街が集積していた背景からも来訪者を迎え入れやすい柔軟な気質が地域にあります。東京大学を中心とした留学生や地域団体による手厚いサポートも期待されます。
■お問い合わせ先
東京文化資源会議事務局内 ナショナル・ハウス コーディネート・チーム
住 所:〒101-0054 千代田区神田錦町2−1
メール:national.house@tohbun.jp